私たちは人間として生まれた以上、悟りに至る道を追求しなければなりません。そうでなければ、この貴重な人生を無駄にしてしまうことになります。

それは、財宝あふれる宝島に到着したのに、何も宝物を得ることなく、手ぶらで帰るようなものです。それは、なんと無駄なことでしょう。

仏陀のダルマは、天界の甘露の如く、すべての病苦を癒します。有縁の人々がダルマを聴聞し実践することで、自らの貪瞋癡の煩悩を浄化し尽くすことができます。

人はそれぞれ過去のカルマの結果として異なる現象を経験しており、個人のカルマから生じる苦しみや幸福もまた、雲泥の差が生じます。

一つ屋根の下で暮らし、一日中寝食を共にする家族3人であっても、感じる世界は同じではありません。ある人は寝つきや夢見がよく、体も健やかな一方、他の家族は、絶え間なく続く悪夢に悩まされ、身体も不調で精神的苦痛に苛んでいるというケースもあるでしょう。

そのように、同じ家族でもそれぞれの経験は大きく異なります。誰であれ、どんなに親しい間柄であっても、全く同じ経験を共有することは不可能です。

さて、これら様々な苦楽は一体どこから来たのでしょうか?それは外的環境がもたらしたのではなく、私達の心から生じたのです。

もし、心が智慧と慈悲で満たされていれば、幸せで平和に過ごせるでしょう。そして、心が無漏の智慧で満たされたなら、完全な解脱に達することもできます。

しかし、常に悪意を抱いて悪業をなしているとすれば、先に待っているのは、恐ろしい悪趣と耐え難い苦痛だけです。

釈迦牟尼仏も経典の中で「心は一切諸法の源です。故に万物を創造する王です」と説かれています。

なぜ”万物創造”と言われるのでしょうか?それは、心は清浄なる涅槃も不浄なる輪廻も作ることができるからです。

つまり、輪廻の世界の全ては、不浄なる心の顕現であり、涅槃と智慧は清浄なる心の顕現です。

詳しく観察すれば、外的環境においては真に実在するモノが一つたりとも見つからないことが分かります。

それゆえ、清浄であるか否かは、根本的には自らの心によるものです。心が輪廻と涅槃のあらゆる現象を顕わすので、自らの心を善法に向ければ、紛れもなく安楽の 訪れは約束されます。

一方、心を飼い慣らすことができず、常に煩悩に駆られて悪事を働くなら、将来は必ず自業自得で苦しみを味わうことになるでしょう。


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