環境問題と仏教 ~チベットにおける環境問題と仏教寺院の取組みについて~

2802
2017-12-11
作者:ケンポ・ツルティム・ロドゥ
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2017年1月24日

京都大学

百周年記念時計台記念館

 

皆さん、こんにちは。今日は寒いですね。ここにいらっしゃる道中、寒かったと思いますが、皆さん、よくお越しくださいました。ありがとうございます。

さて、今日の講演のテーマは、仏教と環境問題の関係についてです。一般的に仏教の考え方は人々の生活と深い関わりがあります。また、世界の社会とも大変深い関わりがあり、同様に環境とも深い関わりがあります。その中で、今日は仏教と環境が、どのような関係にあるかについてお話したいと思います。

世界の環境は脅威的に悪化しています。環境が非常に悪化しつつある今この時に、私たちが何をすべきか申し上げたいと思います。

環境汚染に関して、世界の多くの学者と科学者が、様々なことを述べています。しかし、今日は科学者たちと少し違うことを話したいと思います。それは、私自身の考えではなく、仏教の考え方です。環境悪化の原因について多くの面から語られてきました。例えば、車の増加や鉱物の採掘などです。また、気候もどんどん暖かくなっています。温暖化が進むことによって、多くの自然災害が発生しています。温暖化の原因についても、多くの学者がすでに様々な意見を述べています。こうしたことについて、皆さんもよくご存じのことと思います。

私が申し上げたいのは、その原因の原因についてです。例えば、なぜ車が増えているのでしょうか? なぜ、鉱物の採掘が進んでいるのでしょうか?そうなった原因について、お話したいと思います。それら全ては、私たちの心と関連しています。「環境汚染の原因の全てが、心と関連している」と言うと、少し理解しにくいかもしれませんが、皆さま方もよく考えてみてください。

人の心の中の欲望が増えているのです。総じて人の心には常に欲望があるものですが、現代の多くの文化は、人の欲望を増長させるものです。例えば、私たちが常に目にしているテレビや新聞などの広告です。そうした広告によって、私たちの欲望は刺激され続けます。例えば、1週間のあいだ、広告を目にするか、しないかによって、その週の支出に大きな差が出るほどです。広告を目にすれば支出が増えますが、目にしないと少なくなります。大体1週間で、4ドルほどの差がでると言われます。私たちは、以上のような方法をもって、人の欲望を増長させ、いろいろなものを欲するようにするのです。その結果、一生懸命働いて、たくさんの鉱物を採掘し、多くの石油を掘ることになるのです。こうしてすべきことがどんどん増えていくのです。

人の欲望は、洪水のように湧いてきます。多くの人々が、「環境破壊が進んでいるので、環境を保護しなければならない」と宣伝します。しかし、その宣伝の声はとても弱くて全く役に立ちません。なぜ、そうも弱々しいのでしょうか。それは、世界の人々の欲望が増え続けているからです。欲が増長している時、本来自分にとって必要ないものも、必要なものと思えてきます。

例えば、現在、世界の国々にひとつの問題が起こっています。それは、鬱による買い物です。人々は虚ろな心を抱いています。普段は仕事があるので、心が虚ろになっていることに気づきません。そうした時、私たちの生活に大きな矛盾が生じます。毎日、朝から晩まで仕事をして心にストレスがたまり、悩みが生じます。もし、ある日、まる1日仕事をする必要がなくなったり、あるいは半月働かなくてもよくなったりすると、多くの人が何をしたらいいのか分からなくなってしまうでしょう。では、仕事がある方がいいのでしょうか。それとも、仕事がない方がいいのでしょうか。そのことが自分自身でも分らないのです。それというのも、私たちの心が、虚ろになってしまっているからなのです。

心が虚ろになると、多くの人が幸福感を味わうために、たくさんのものを買い求めます。でも服や靴や鞄などすでに色々たくさん持っているので、本来なら新たに買う必要などありません。にも関わらず、本当に欲しくもないものを買うのです。洋服タンスの中に、タグも切り取ってない服をしまっている人は、たくさんいることでしょう。にもかかわらず、まだ「もっと買わなければ」という思いに駆り立てられるのです。実のところ、その時、その人が本当に欲しいのは服ではなく、服を買うという感覚なのです。買い物をして帰宅した後になって、財布がからっぽになっていることに気づき、「ああ、あんなに無駄な浪費をしてしまった、どうしよう」と思い、新たな悩みが心に生じるわけです。では、ものをたくさん買った方がよいのでしょうか。それとも、買わない方がよいのでしょうか。これも、私たち自身が分からなくなってしまっているのです。

また、鬱病による過食もあります。鬱病の時、たくさんの食べ物を食べてしまいます。これもお腹が空いて食べているのではありません。食べている時のその感覚を欲しがっているのです。たくさん食べると太ってしまいますね。心にストレスがたまると、甘いものが食べたくなります。甘いものはストレスに少し効くので、ストレスがある人たちは、甘いものを食べたがります。そして、更に太るのです。なら、食べた方がよいのでしょうか。食べない方がよいのでしょうか。これも私たち自身判らなくなっているのです。これら全ては心の問題です。しかし、心の問題をどうすればよいのか、私たちは全然分からないでいるのです。

環境の悪化や、地球温暖化なども、これまで述べた問題と同じく心と関係がありますが、心と関係あること自体、私たちは分かっていません。今のままの状況で、人間が自分の心をコントロールできなければ、私たちはやがて生活することができなくなります。

例えば、アメリカの人口は、世界の人口の5~6パーセントしかありませんが、彼らが使っている資源は、世界全体の資源のうち、34 ~ 5 パーセントと言われています。たくさん消費しています。一人のアメリカ人が使用している資源を、何人のインド人で消費していると思いますか?

 

― 「60 人です」

 

 他の方もおっしゃってください。後、3人ぐらい。

 

― 「80 人です」

 

― 「10 人です」

 

― 「300 人です」

 

ここで60 人、80 人、10 人、300 人といろいろ意見がでましたが、正解は125 人です。世界中の人々が、全ての東洋人が、アメリカ人のような生活を送りたいと考えています。もし、全世界の人々がアメリカ人のような生活を送ろうとしたら、どのぐらいの資源が必要でしょうか。もし、そうなったら私たちには3~5つの地球が必要です。けれども、私たちには、1つの地球しかありませんね。ではどうすればよいのかというと、皆が自分の欲望をコントロールするしかありません。

仏教の教えの中には、人々が生活を送るための根本となる教えがあります。それは4文字です。その4文字は何かと言うと、「少欲知足」という4文字です。少欲知足は発展を妨げるものなので、よくないという人もいます。けれども、仏教では少欲知足によって、人類は長く発展を続けられると説かれています。そのために、私たちは自分の心をコントールすることを学ばなければなりません。少欲知足が必要だというのは、貧しい家に住んで、貧しい生活を送れと言っているのではありません。私たちが生活を送るために、必ず必要なものがあります。その必要な分を超え、不必要なものまで求める贅沢な生活をしないのが、少欲知足です。また、少欲知足によって、心の幸せが得られます。チベットでは、あらゆる幸せの中の最も優れた幸せは、心の幸せだと説かれます。そして、心に幸せが訪れるための根本的な条件が「自由」なのです。ここでの自由とは、心の自由のことを指します。外界において、私たちには様々な自由があります。それら全部が揃っても、内心の自由を得ることができなければ幸せは得られないと、仏教では説かれており、チベットでもそう言います。

これは、まさにその通りではないでしょうか。心を正しくコントールできれば、環境も正しく保護できます。心を軽やかに、柔らかくする必要があります。私たちは心の健康について考えなくてはなりません。世界には、心の幸福度のランキングがあります。例えば日本の経済は、以前ほど発展していませんが、経済面で世界ランキングの上位に位置します。しかし、心の幸福度に関してのランキングは低いのです。これまで人々は、経済のためだけに努力してきました。経済の中に、全ての幸せがあると考えていたからです。16 ~ 18 世紀まではその思想が強くて、経済は非常に発展しました。一方で、そのような思想によって、私たちはたくさんの環境を破壊したのです。

現在、経済は徐々に衰えつつあります。経済は必要です。経済が必要ないとは、決して言いません。しかしそれとは同時に、心について慎重に考える必要があります。心のことを考えずに、以前と同じ行為をとれば、環境は悪化するばかりです。今は世界中に、環境保護活動を行う組織や集団があまたあり、多くの人々が活動していますが、環境を破壊する人は、保護する人よりも多いのです。そのため、環境を保護する人たちは、いつも環境を破壊する人たちに追いつけません。環境を破壊する人たちに追いつけない原因は、人の欲望が非常に増大しているからです。今日ここに来られている人の中には、もしかしたら、天候が例年より暖かくなっているのは、自分と遠くかけ離れた関係ないことだと思っている人もいるかもしれません。しかし、そうした問題は、私たちの生活と必ず関係があります。そのことを理解して、心を変えていくことがとても大切なのです。

心を変えるためには、正しい方法が必要です。方法なくして、心を変えることはできません。その方法は仏教の中にあります。仏教徒か否かに関係なく、その方法を実践することが必要です。もし、仏教の方法よりも正しい方法があるならば、仏教の方法に従わなくてもよいのですが、今のところ、これより優れた方法がはないのです。

日本では、仏教を信仰する方が多いと聞きましたが、仏教の正しい考え方と見解、方法などを知っている人は、とても少ないと私は感じています。その原因は、仏教が死ぬ時や死後に役立つものだと考えられているからではないでしょうか。私は来日前に、日本仏教は死者と関係があって、生きているうちは、あまり関係ないという話を聞きました。私は、それは事実ではないと思います。もし、事実ならば、非常に悲しいことです。先ほども申し上げましたように、仏教を信仰してもよいし、信仰しなくてもよいですが、仏教の教えを活用できれば、幸せな人生を送ることができるというご利益があります。現代は、自分の心の問題に関心を寄せるべき時代です。そして、心の問題に関心を寄せるには、仏教に注目すべきなのです。

西洋に心理学という学問があるのは、皆さんご承知の通りです。しかし、その心理学は、他の科学と異なり、この100 年の間、根本的には変わることはありませんでした。物理学、生物学などは、この100年の間に目覚ましい発展を遂げています。それに対して、心理学も少しは発展しましたが、驚くほどではないです。心の問題を解決するために、今のところ仏教しか方法がありません。そのため、私たちは仏教の方法を取り入れる必要があります。

そのことを知って、現在、アメリカなどでは非常にたくさんの人が、マインドフルネスという瞑想を行っています。その瞑想は、全て仏教からきたものです。一部は上座仏教であるミャンマーから、一部はチベットから伝わりました。チベットから伝わっている瞑想の用語も、全てチベット語をそのままを使っています。しかし、瞑想している彼ら全てが仏教徒かと言うと、そうではありません。心の問題に関して、今のところは仏教よりよい方法がないため、仕方なく仏教の方法を受け入れているのです。また、ユダヤ教徒にも仏教の瞑想を行う人がたくさんいます。脳科学の研究者にも瞑想を行う人がたくさんいます。彼らは皆、仏教徒ではありません。宗教を信仰している人もいますし、信仰していない人もいます。しかしながら、彼らは仏教の方法を使っています。最近、日本でも瞑想をする人が増えていると聞きました。これからの10年~ 15 年の間に、日本でも瞑想する人がさらに増えることでしょう。

世界の文化とは不思議なものですね。最初、東洋で発展した文化が、西洋に伝わり、そこで発展してから再び東洋に戻ってきているのです。瞑想はどこからきたのでしょうか? どんなものでしょうか? 誰のものでしょうか? これについて、多くの人は知らずにいます。それはミャンマーのものでもあり、チベットのものでもあります。もっというなら、仏教のものです。そして、心の幸せを得るためには、仏教のもっている方法を利用すべきなのです。若者が、「宗教は自分と無関係だ。それは将来死ぬ時に必要なものだ」と考えることは間違いです。以上が、仏教が環境に対して役立つという1番目の理由です。要約すれば、「少欲知足」です。

2番目の理由は、「菜食主義」です。肉食の禁止が、大乗仏教の経典に広く説かれています。世界では肉食のために、たくさんの家畜が育てられています。家畜を育てるために、たくさんの穀物と水が必要です。そして、家畜の糞などによって汚染が増えます。今、水質汚染の原因の30 パーセントは、肉食のせいだと言われています。また、空気も汚染されています。空気汚染の原因の20 パーセントは、肉食のせいだと言われています。人々は30 年をかけて使える資源のうち、すでに30 パーセントは使い終わっています。それら全てが、肉食のせいだとは言いませんが、肉食によって、私たちは水と穀物を無駄にしています。また、汚染が進んで世界の環境が害されています。大乗仏教の仏典の中に説かれているように、肉を食べずにいるか、肉の摂取量を減らせば、環境によい影響がもたらされるでしょう。以上が、仏教が環境に役立つことができる理由の2番目です。

3番目の理由は、「仏教の精神」が自然保護と結びついていることです。山や海、森などに聖なる場所があります。仏教徒はそれを「聖地」と呼びますが、特にチベットには、そのような「聖地」がたくさんあります。例えば、日本には富士山という山がありますよね。それと同じような山が、仏教を信仰するたくさんの地域にあります。仏教徒は、それらの聖地を保護します。決して破壊しません。寺は、その周りの山や森などの自然環境を保護します。

近年、北京大学で環境保護を行なっている科学者たちが、環境に対して、ある調査を実施しました。1つは、寺が信仰の対象としている聖地として保護している土地です。もう1つは、国と政府が保護している土地です。その2つの土地を比較して、どちらの草、水、木、動物などが、よく保護されているか調査したのです。調査の結果、寺が保護している土地は、とても素晴らしくて、他の土地と完全に異なっていることが判りました。それは、寺院が信仰を持って、心から保護しているからです。一般的に、心を込めて働くことと無関心で働くことの結果は、全く異なりますよね? 昔から仏教の伝統では、寺の周囲の森などを保護する習慣があります。それが今も続いているのです。これも環境保護に大きな役割を果たしているのです。以上が3番目の理由です。

4番目の理由は、「動物保護」に関しても、仏教は非常に効果的な役割を果たしていることです。環境保護は、土や水だけではなく、動物の保護も含まれます。仏教では、哀れみと慈しみによって動物を保護します。仏教以外でも、世界中でたくさんの人々が動物を保護しています。彼らは動物の中の特定の動物を保護しますが、それ以外の種類の動物を殺したり、食べたりしています。動物は人類の仲間だと言う人も多くいます。家で犬や猫などのペットを飼っている人も、少なくありません。道で犬を3、4 匹連れて散歩している人もよく見かけます。しかし、自分に問題がある時に、ペットを捨ててしまう飼い主が世界中にいます。私たちは、自分に利益があればペットを大切にして面倒を見ますが、自分に対して利益がなければ、不要なものとして捨ててしまうのです。

仏教の動物保護とは、以上のようなものではありません。仏教では、全ての動物が平等であり、それぞれの場所で自由に生きる権利があると考えます。その権利は必ず尊重しなければなりません。そのため、仏教では多くの動物を保護します。もちろん仏教の力の及ばない場合もありますが、役割を果たせるところでは、動物を正しく保護することができています。これが4番目の理由です。

以上、外の環境について話しましたが、最も重要なのは、仏教では外の環境だけではなく、内の環境も説いている点です。環境には、外と内という2 つの環境があるのです。内の環境が何を指すのかと言うと、それは私たちの心です。心もまた、一つの世界のようなものです。心は社会のようなものです。この社会には、悪い人もいますし、よい人もいます。それと同じように、私たちの心の中にはよいものもありますし、悪いものもあります。社会の中には、非常に権力を持っている人がいますし、権力を持っていない人もいます。それと同じように、私たちの心にも強い権力を持っているものもありますし、全く権力を持っていないものもあるのです。

自然界の中で悪いことを行えば、環境を破壊してしまいます。それと同様に、一部分の分別知によって心が害されます。そのために、仏教では、外の環境と同様に、内なる心の環境も正しく保護する必要があると説きます。例えば、ご飯を食べ、水を飲むことによって、健康になる場合もあれば、逆に病気になる場合もあるでしょう。それと同じように、心にも糧になるものと、ならないものがあります。心の糧を正しく摂取できなければ、心に問題が生じることでしょう。

以上のように、世界には、外の世界と内の世界という2つがあります。その2つの世界を等しく保護して、等しく関心を払う必要があります。普段、私たちは外の環境を破壊する前に、心の環境を破壊しています。そして、心の環境を破壊し終えてから、徐々に外の環境を破壊し始めています。そのために、今日ここで、皆さんは3つの言葉を心に留めてください。1つ目は、心の健康です。2つ目は、心の環境保護です。3つ目は、心の環境破壊です。心の環境破壊とは怒りによって引き起こされます。怒りは心の環境破壊の根本的な原因です。

また、心の中で非常に強い力を持っているのは、「私」という考え方です。「私はよいものが欲しい」「私のもの」という考え方です。こうした考え方は心の中で最も力を持っているのです。それは歴史上で非常に強い権力を持った王が、様々なことを行ったのと同様です。心を破壊しているおおもとは「私」です。私たちは、この非常に強い力を持っている「私」の力を滅ぼさなければなりません。そして、「私」を滅ぼす方法は、仏教にしかありません。心の環境を正しく保護するつもりなら、仏教の中にこそ、その方法があるのです。

では、時間となりましたので、今回の講義はここまでにさせていただきます。ご静聴ありがとうございました。

 

(通訳 井内真帆)