人類の歴史において、最も偉大な発見と功績は、芸術や科学ではありません。自分自身の無知と不条理を正しく認識し、それらの問題の原因を探り、解決方法を発見したことです。なぜなら、そのような智慧を得ることによってのみ、究極的な自由と幸福が得られるからです。
どんな時でも、どんな環境でも、私たちが幸せな生活を送れるかどうかは、すべては自らの心次第です。外的環境によるものではありません。それなのに、なぜ私たちは自分の心を訓練せず、周りの環境を変えようと必死になるのでしょうか?
大乗仏教徒は、霊のようなものを拝んだりはせず、完全に悟られた方を敬います。又、超自然的な力を得ようとするのではなく智慧と慈悲を得ようとします。そして、天界に行くことを願わず、他者を利することを願います。輪廻の世界を捨て去るのではなく、それを超越しようとするのです。
生活をより良いものに、快適にするために、多くの学問が生まれてきました。特に西洋社会において、物質面の進化、科学の進化には著しいものがあります。しかし、心の問題は増える一方です。もし、心に何か問題を抱えているなら、物質面が満たされていても、幸福を味わうことはできません。
『般若心経』は何を説くものでしょうか? 仏教では空性を説きます。では、空性が説かれる理由は何でしょうか? 人は身心に苦しみを抱えています。この苦しみを取り除くために、空性の教えが説かれたのです。特に、心の苦しみがどこから生じたのかというと、ものには実体がないにも関わらず、実体があると信じ込んでいるが故に苦みが生じるのです。
チベットでは、あらゆる幸せの中の最も優れた幸せは、心の幸せだと説かれます。そして、心に幸せが訪れるための根本的な条件が「自由」です。ここでの自由とは、心の自由のことを指します。外界において、私たちには様々な自由があります。それら全部が揃っても、内心の自由を得ることができなければ、幸せは得られないと仏教では説かれており、チベットでもそう言います。
