私たちが苦しみに直面したとき、その痛みを通して世界の真相を見つめ、現実を正しく理解する智慧を育むことができます。
また、その苦しみを、自らの心を磨く力へと転じることもできるのです。
苦しみを正しく受け止め、善く生かすことができれば、人生はそこから、いっそう深く、いっそう豊かに開けてゆくでしょう。
毎日この時間になると、多くの人々が仕事へ向かう支度を始めます。
家を出る前の三十分から一時間ほどを、静かに心を調える時間に充てることが大切です。
心が穏やかで、喜びに満ちていれば、世界もまた自然と明るさを帯び、その一日はより豊かで意義深いものとなるでしょう。
仏陀は、私たちに現実を正しく、そして勇気をもって見つめることを教えています。
人生のあらゆる出来事を、過度に美化したり理想化したりすることなく、ありのままに見つめるよう教えているのです。
物事を達観し、執着を手放すことこそが、自由であり、安らぎであり、真の幸福なのです。
限りある人生を、欲望と絶望のはざまで費やす必要はありません。
現代に生きる多くの人々は、豊かな知識を身につける一方で、かえって日々の暮らしの中で「人としていかに在るべきか」を見失うという、皮肉な状況に直面しています。
こうした時代にあって、私たちが今こそ求めるべきものは、まさに仏陀の教えでありましょう。
その教えは、私たちの心を澄ませ、善き心を育み、誠実に生きる力を養い、いかなる困難にも折れぬ強さを備えた人へと導いてくれるはずです。
毎晩、一座の坐禅を行い、善なる心を保ったまま眠りにつくことで、心は次第に安らぎ、睡眠の質も高まり、悪夢に悩まされることも少なくなるでしょう。
うつ病の苦しみは、薬だけに頼っていては、かえって心の活力を損なうことがあります。
だからこそ、瞑想を実践し、心を静めていくことこそ、根本的な解決へと導く大切な道の一つであると言えるのです。
近代以降の社会では、長い間、物質的な豊かさこそ幸福であるという価値観が広まってきました。
しかし、長年にわたる研究の結果、ある段階を越えると、物質的な豊かさと幸福との間には、必ずしも直接的な関係がないことが明らかになりました。
これは、尽きることのない人間の欲望に対する、何とも皮肉な示唆ではないでしょうか。
先日、偶然にもある年配の女性が、暮らし向きの厳しい婿と口論している場面に出くわしました。
その女性は、「あなたは幸福というものを知っていますか。お金さえあれば、それこそが幸福なのですよ」と言い放ちました。
しかし、家庭の幸福は、本当に財の多さだけに宿るものなのでしょうか。
現代に生きる多くの人々の心は、絶えず揺れ動き、安らぎを失っています。
これは、物質文明が急速に発展した現代社会がもたらした、一つの弊害でもあります。
だからこそ、現代社会に生きる私たちは、瞑想を通じて心を調える実践が必要なのです。
一念は、やがて現実となって現れていきます。だからこそ、心の中に邪念を留めてはなりません。
もし邪念が生じたなら、ただちに気づき、それを払い清めていくことが何より大切です。
それこそが、自らの心を守るための、最も重要な「心のウイルス対策」なのです。
物質的な生活への欲求が高まるほど、人の心は次第に脆くなっていきます。心が脆くなれば、いかに多くを手に入れても真の満足は生まれず、常に不安や不満に揺れ、やがて真の幸福から遠ざかってしまいます。
誰しも
苦しみに直面することを
望みません。
しかし、苦しみこそが、
私たちに他者への慈しみを
学ぶ機会を与え、
世界の真実に気づかせ、
心の内に、より前向きに
生きる姿勢と、
揺るぎない強さを
育んでくれるのです。
