一年かけて、春夏秋冬の中で移り変わる銀杏の姿を写真で記録しました。
私たちの暮らし、富、命もこのように巡っています。終わりは始まり、始まりはまた終わりなのです。
従って、人生のどん底に陥ったときにも絶望する必要はありません。そこからまた始まることがあるからです。一方、人生の頂点に登り詰めたときにも、それを恒常なものと見てはいけません。すべては紛れもなく終わりを迎えることになるからです。
大乗仏教の唯識派、および中観派の見解を学ぼうとする人は、まず量子論(Quantenphysik) についてよく理解するべきです。
宇宙からあなたの錯覚を取り去ったら、あとには何が残るかを知っていますか。
この世界が愛で満たされますように。
愛は日光のようであり、また青空や大海のようでもあります。
すべての人が愛を伴う人生に恵まれ、愛の喜びを実感できますように。
心が素直であれば、先行く道も真っ直ぐとなる。
皆さんにそっとお伝えしましょう。仏陀・菩薩方、三宝のご加護は、紛れもなくあなたの周囲に注がれています。ただし、それは超音波やガンマ線のように、あなた自身は視覚や聴覚で捉えることはできません。そこで、三宝に心を向けることが肝要となります。
今日は私の導師・法王ジグメ・プンツォク・リンポチェが円寂された日です。既に19年が経ちましたが、師のご加護は常に絶え間なく降り注がれています。これは私自身、人生を通じて確信しています。
人の一生は、光の波形のように移ろい、進んでゆきます。波は山と谷の曲線を描きます。光が世界を遍く照らすことができるのは、この波形によるものです。
同じように、人の一生の軌跡にも山と谷があります。人生を歩む時、谷間では挫けずに心を強く持つこと。山の時は浮かれず、身を慎むこと。そのような心構えで人生を歩むことで、光の如く、自他を照らすことができるのです。
人間の眼は、波長範囲400〜700ナノメートルの光しか認識することができません。それ以外の波長の光は視覚で捉えることができませんが、存在することは紛れもない事実です。
人間の耳は、周波数範囲20~20000ヘルツの音しか捉えられません。それ以外の周波数の音は聴覚で捉えることができませんが、その存在も紛れもない事実です。
人の目に見える物質は、全宇宙の僅か4%あまりです。残り96%は、視覚では認識できない物質です。それらの物質は視覚で捉えることができないというだけで、間違いなく存在しています。
このことから類推すれば、前世も来世も実際に視聴覚で確認できないという理由だけで、”人には前世・来世など無く、人間とは、この身体の寿命約100年余りのものでしかない”と断言することは、誰にもできないと思います。
ロサル・タシデレ
今日はチベット暦の元旦です。皆様におかれましては、新しい一年が悉く平和と健康で満たされ、幸多き一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
チベットの暦を見ますと、時には一日余り、時には一日欠けますが、こうしたズレが起こるのはどのような理由からでしょう?それは月が地球の周りを運行するスピードの差異によるものです。月は軌道の近点では動きが速くなり、軌道の遠点では動きが遅くなります。そのため、月の動きが遅い時には一日増やし、速い時には一日減らすことが必要になるのです。そのように調整することで、毎月十五日に満月を眺められるのです。
なぜ、師に帰依する必要があるのでしょうか?悟りへの道を求める心が少しでもあれば、(真意を)お分かりいただけると思います。
煩悩は浮雲の如く、心の本質は虚空のようです。
あらゆる物事にはもともと実体がないのに、どうして人生が苦しいと言えましょうか。
五月晴れの今日一日を気持ちよくお過ごしください。
昨日は、兎年の旧暦最後の一日になりました。思うに、この一年は、兎よりも速く走り去っていきました。毎月処したことは、兎の毛よりも多いですが、日々の24時間は兎の尻尾より短いものです。心せわしく活動していては、いくら時間があっても足りません。