死んだらどこに行くか、考えたことがありますか?

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2024-08-19
作者: ジグメ·プンツォク·リンポチェ口述、ケンポ·ソダジ·リンポチェ翻訳·編集
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権力と富を持つ人々は、快適な環境に恵まれ、多くの人々にも囲まれて、称賛や喝采を浴びます。しかし、いずれは他の人々のように、全くなす術もなく、死の恐怖に直面しなければなりません。また、その一生のうちに、無常に翻弄され、福徳が尽き、家運が傾き、富みを悉く失ってしまう者も少なくありません。

このように、人が経験する苦しみや楽しみは、不変ではありません。

ご飯を炊く時、お釜の中で浮き沈むお米の粒のように、私達の人生も時には善なるカルマで喜びを味わい、時には悪しきカルマで苦しみに苛まれたりします。

苦楽のカルマは、このように影の如く、私達に付き添い、絶えず巡り変わっていきます。

私自身を例に挙げてみましょう。私は子供の頃から、賢明な導師に帰依し、仏法を修行し、実践してきました。この点から見れば、福徳に恵まれ、幸運だったと言えるかもしれません。

しかし一方では、幼い頃からずっと体が弱く、よく病気に悩まされています。その上、食べ物や着る物もないような困難にも遭遇しました。

修行は一応できていて、過酷な苦行も少なからず経験してきたとは思いますが、「死んだらどこに行くのか?」と自分に問いかけると、まだ確信が持てません。

今の私は衣食に困らず、世間が評価下さり、弟子達も私のことを尊敬してくれています。本来ならば、平和で幸せな気持ちになるはずです。

しかし、見方を変えれば、私は足が不自由で、大経堂に行こうとしても、自力では歩いていけず、体が健康な日は一日たりとも無いほど、不憫な老人でもあります。

1~2年前ですが、ミパム·リンポチェは50歳の時に重病にかかり、67歳の時に円寂されたことを思い、私も67歳で亡くなって、浄土に生まれ変わることを切望しました。

しかしその後、様々なカルマの働きによって、私の寿命はまた少し延びました。

このように、私のことを例にして、皆様も自身について熟考なさってみてください。·この人生で、どのような喜びや苦しみをを経験してきましたか? ·今後は苦しみを味わうことなく、いつまでも幸せに恵まれることを望むのなら、どうすればいいのでしょうか?

こうした自身の将来について、今まで一度も考えたことがないかもしれません。しかし、今この瞬間から、心を静め、それらについて熟考してみてください。