たとえ、どんな怨敵であっても、彼らがどんなに私たちに害を与えようとも、怒りを掻き立てるのではなく、できるだけ、その人を自分の母のように思い、慈悲の心を修めましょう。
仏教の経典で説かれているように、無始の時より、輪廻のすべての衆生は、かつて私の母であり、彼らは苦労して私を育て、最大の愛を込めて私の世話をし、自分の最も大切な全ての物を私に与えてくれました。
母の恩は山より高し。しかし、カルマの残酷なトリックにより、かつての母は私のことを忘れ、今は敵となってしまいました。もしそうでなければ、彼女は私に苦しみを与えようとするでしょうか?
私が病気になったとき、私がどんなに乱暴で横暴であっても、苦労をいとわず、愛情を持ってケアをしてくれました。今、耐え難い輪廻の苦海の中で長い間漂流してきた母は、不幸にも「病気」となり、私を認識することはできません。頼れる人もいない今の彼らに対し、少し自分を害したからといって、どうして不倶戴天の敵のように扱えましょうか?怨敵が私たちに危害を加える時、我々はこのように考えるべきです。その人を怨んで、復讐しようとするのではなく、師と仏·法·僧の三宝の加持を祈り、彼らが一日も早く安楽を得、永遠に(輪廻の)苦海から解放されるよう、心から願うべきです。